3 posts categorized " 音楽 (Rock-Bar)"

August 27, 2006

Rock-Bar / 「伝説」の4年間

Rock Fan のみなさま こん**は、お久しぶりの Rock-Bar です。
今回はエリック・クラプトンつながりで Jimi Hendrix です。

'66年9月 当時無名だったジミ・ヘンドリックスはチャス・チャンドラー(アニマルズ)に渡英を勧められる。
ジミは「エリック・クラプトンに会わせてくれるか?」と尋ねている。
チャスは「君の演奏を聴いたらエリックの方から会いに来るよ」と。
Jimi1 渡英後、ジミの出演するクラブには長蛇の列ができる。
連日ビートルズやストーンズなどのメンバーが顔を見せる。
ジミの演奏を初めて目の当たりにしたエリック・クラプトンは「誰もジミのようにギターを弾くことはできない」という言葉を残している。

クリームの「Sunshine Of Your Love」は、クリームのメンバー3人がジミのステージを鑑賞した夜、ジミの演奏に触発されて生まれたという。
ジミも同曲を気に入って、ステージで演奏していた。

そののちジミが亡くなった'70年にエリック・クラプトンはアルバム「レイラ」で"Little Wing"をカヴァーしている。

ジミ死後、いまだに新しい音源が出続けてる。
バッタもんみたいな企画モノもあるけど、 私の思い入れのアルバムは'72年発表の「In The West」。
Jimi3 私がどっぷりハマった当時(70年代後半)は公式なライブ音源が少なかったが、このアルバムは絶頂時の熱いプレイが多い。

高校時代に友人にこのLPを貸したら
「ギタリストにジミ・ヘンしかクレジットが無いけどバックギタリストは何人?」と聞かれ
「えっ?」と絶句した憶えがある。

中でも "Johnny B. Goode" は彼のキャラクターそしてキャリアが詰まった1曲だと思う。
後にビデオ(ジミ・プレイズ・バークレー)で初めて映像を見た時・・・バッキング、ソロとストラト(ギター)が彼の感性の一部となったグルーブ感、ラストソロ2章節目のギターを歯で弾くライブ・パフォーマンスそしてエンディングのフィードバック・・・鳥肌モノだった。

※アルバム「In The West」はCD化されたが、2曲の録音テープの所有権利トラブルから廃盤となった。残念(T_T)
Jimi4

January 28, 2006

Rock-Bar / エリック・クラプトンここにあり

こんばんわ、Rock-Barの時間です。
今夜はデュアン・オールマンつながりでEric Claptonです。判りやすいですですね(^^)

エリック・クラプトンを語れば、彼の流浪の生きざまに多くの人がそれぞれの思い入れを語るだろう。
そんな中で私的には'70代のライヴに特に思い入れがある。そう!それは'74年、クラプトンが初来日して、それまでのレコード、記事としての“God”“伝説”ではなく人間として目の前でギターを弾き歌ったから。
その感動と興奮は今でも色褪せない(^^)y-.。o○

ライヴ そこで「E.C. Was Here」なのだ。
ヤク中(ヘロイン中毒)生活から脱出して久々にツアー復帰した'74年のライヴ音源。
ギターは全体的にスローでゆるい(いい意味)。いい感じに手癖フレーズでこなしているが、ここぞ!という時はクリームやブルースブレーカーズ時代を彷彿させる熱いフレーズが飛び出してくる。Have You Ever Loved A WomaやFurther On Up The Road はヤケドしそう。LP(レコード)ではDrifting Blues はジョージ・テリーのギター・ソロでフェイド・アウトしてたが、CDではその後クラプトンがエレクトリックに持ち替えてスライドプレーとなる。故デュアン・オールマンのフレーズも飛び出し、目頭が熱くなる。
 ヴォーカルはクラプトン自身がコンプレックスを感じていた頃でもあり、イヴォンヌ・エリマン(母親が日本人のホノルル出身、のちIf I Can’t Have You 等ヒットを出す)にリードされている感じは否めないが、甘い声質は現在の歌指向になる過程として興味深い。
まぁ当時、裸の女性の背中に"E.C. Was Here"これだけで買った人も多かった((((((^_^;)

ec1 ちなみに、アルバムタイトルは第二次世界大戦中にアメリカ兵士の間で流行した落書き"Kilroy Was Here"のフレーズをもじったもの。
"Kilroy Was Here"の意味が判明したのは戦後になってから・・・

・・・戦争当時、ジェームス・キルロイは造船所で働いていた。彼は建造中の軍艦のリヴェット(びょう)の数を確認するのが任務だった。キルロイは数え終わったリヴェットにチョークで印をつけていたのだが、彼が休みの時に工員がそのチョークを消してしまう。(リヴェットを打つ工員はその数で給料を支払われていたため、数え終わったリヴェットの数をわからないようにして給料を多く貰おうとした)それに気付いたキルロイはリヴェットにチョークで印をつけた後、さらに鉄板に大きく"Kilroy Was Here"と書き込んでいったのである。普通ならこうしたチェック・マークは消されるのだが、戦争が激しさを増してくると時間と余裕がなくなって、軍艦は船体中に"Kilroy Was Here"と書かれたまま戦場へと向かったのである。軍艦に乗り込んだ軍人もこの意味がわからない。しかし何か特別な意味があると考え、そのままとなった。そして兵士の間で米軍到着の記念として,占領地の建物の壁などに書くことがブームとなった。
人類未踏のエベレスト登山に成功した時に頂上には"Kilroy Was Here"と既に落書きされていた。という逸話もある。

ついでにBoxモノですが、
エリック・クラプトン アンソロジー 2(Crossroads 2 Live In The Seventies )

Crossroads 2: Live In The Seventies '74年~'78年のライヴを集めた4枚組Box。
一部"E.C. Was Here"と重複があるが未発表テイクが多く収録曲の半分以上がブルーズ(^^)
この時期、バンド問題やヤク中(ヘロイン中毒)生活からのリバウンドとしてアルコールに走った頃ですが、ブルーズナンバーでのギターソロはどれも絶品で、特にEyesight To The Blind~Why Does Love Got To Be So Sad?でのサンタナとのセッションは熱い!
また、それまでのギタリストからアーティスト(歌指向)プレーヤーとして変わり行くプロセスがヴォーカルに表れており、現在のクラプトンのカタチの元があるBoxとなってる。
私的には「イージーナウ」「スマイル」「レット イット グロウ」を入れて欲しかったなぁ。

December 17, 2005

Rock-Bar / デュアン・オールマンはリズム音痴なのか?

こんばんわ、Rock-Barの時間です。今夜は何の説明も要らない「At Fillmore East」です。フィルモアといえば、オールマン・ブラザーズ・バンドでしょ! LPレコードとCD両方もってます(^^) そしてオールマン・ブラザーズ・バンドといえば、と~ぜんデュアン・オールマン(Duane Allman)を語らねば。

フィルモア・イースト・ライヴ彼はエルモア・ジェイムスやロバート・ジョンソンなどのスライドプレイを電気ギターを用いた単音演奏によりRockに昇華した開拓者だと云えると思う。そのプレイはオープンEチューニングすることによりハイポジションでのアプローチが多く、22フレット上から26フレット(フレットがあればの話だけど)のギターマイク上で自由奔放にプレイしている。“スカイ・ドッグ”というニックネームが彼の豹貌とプレイを物語っている。インタビューによると音感がすごく、一度聞いた音はすぐに弾けたと云ってたなぁ。ギターフレットに早いパッセージでスライドバーが移動するのは、耳と指でノートを感じているからだろう。
デュアンのスライドプレイはとてもスリリングだ。なぜか?私的に思うにリズムが、ずれそーでずれないギリギリのところで合っているとこから来るスリリングさではないのかなぁと思う←まあ天才と何とかは紙一重の感覚ですから。
このアルバムは、ドライヴ感アウタートップのスライド+ソロワークもマイナーとメジャーを織り交ぜたブルージーなサザンロック構成でGoodです。

duane

アンソロジー
こちらのアルバムはデュアン・オールマンのセッション・マン時代からオールマン・ブラザーズ・バンドまで聞けるオススメの1枚。
あまりにも有名なデレク&ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の「Layla」やボズ・スキャッグスの「Loan Me A Dime」、ウィルソン・ピケットの「Hey Jude」等でブルジーなデュアンのリードが冴えてます。私的には「Please Be With Me」のドブロ(のちにクラプトンが461オーシャン・ブールヴァードでカヴァー)、「Mean Old World」(クラプトンのレイラセッションズにも収録)、「Little Martha」のアコースティックなサウンドが好きです。
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※デュアン・オールマン(Duane Allman)の生涯と因縁
弟のグレッグと'65オールマン・ジョイ、'67にはアワーグラスを結成し、レコードデビュー。その後スタジオ・ミュージシャンとして活躍後、オールマン・ブラザーズ・バンド結成。サザンロックの頂点となる。'71.10.29  4作目のアルバム「イート・ア・ピーチ」レコーディングの休暇中にオートバイによる交通事故で他界。24歳という若さだった・・・

・・・デュアンの事故死から約1年後の11.11 ジョージア州メイコンでオートバイに乗っていたオールマン・ブラザーズ・バンドのベーシスト、ベリー・オークリーはバスと衝突し、6時間後にミドル・ジョージア病院で他界。デュアンの事故現場から、わずか3ブロックしか離れてなく、同じ病院で・・・

・・・ベリー・オークリーの事故死の5年前12.10 飛行機事故で他界したソウル・ミュージック不世出のボーカリストと云われたオーティス・レディングもこの近くでの事故死でした・・・

・・・しかも、3人とも、マネージメント人物は同一で当時「呪われた人」としてメディアに取り上げられた・・・。(ライナーノーツより)